忠魂碑:勝山公園(慰霊碑)
■ 時風3582 ■ 2018-10-30 ■ 投稿者: 北九州市時と風の博物館事務局
そばにある碑文によると、「第十二師管忠魂碑建設・大正十一年十一月」と書かれていることから、小倉の第十二師団に、福岡県とその周辺県の一部の地域から(当時第十二師団に対応する地域を第十二師管と呼んだ)徴用されたが、幾多の戦役の中で戦死した兵士を慰霊するため、第十二師管が大正11年11月に建立したと思われます。
碑には、『載仁親王書』とある。載仁親王(慶応元年‐昭和20年、1865‐1945)は、閑院宮載仁親王(かんいんのみや ことひとしんのう)であり、日本の皇族、陸軍大将、元帥。
碑には、『載仁親王書』とある。載仁親王(慶応元年‐昭和20年、1865‐1945)は、閑院宮載仁親王(かんいんのみや ことひとしんのう)であり、日本の皇族、陸軍大将、元帥。