小敷の太閤水
■ 時風589 ■ 2012-08-31 ■ 投稿者: 九州若松
若松区の小敷に太閤水と呼ばれる井戸が残っています。豊臣秀吉が朝鮮出兵で肥前町の名護屋城まで行った時に、ここ小敷にも立ち寄りこの場所で休憩し、水を飲んだと言われています。その後村人はここに井戸を作り、太閤水と呼ばれるようになったそうです。それにしても、かつて若松が唐津街道の一部であったとは、まったく知りませんでした。黒田長政が筑前国主となってからは、城下町を他の大名が通過するのを嫌い、長崎街道を整備しております。その後の唐津街道は、長崎街道ほどにぎわう事はなかったようです。