北九州市 時と風の博物館

日常の中で見過ごされがちな北九州市が誇るべき魅力や個性を、地域資源として私たち自身で編纂し、未来へ繋げましょう。

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戦艦大和の直衛艦が眠る・軍艦防波堤

北九州市若松区に戦艦の墓場がある。北九州市民に
聞いてもおそらく、知っている人は、少ないであろう。
ここは、軍艦防波堤という。この写真の岸壁に出ている
船体は、旧日本海軍の駆逐艦「柳」である。
戦後まもない昭和23年9月。他の駆逐艦「冬月」「涼月」
とともに、洞海湾を響灘の荒波から守る防波堤として
沈められた。
「冬月」「涼月」の2艦は、この手前の護岸の中に埋沈しているが、
この両艦は、昭和20年4月。「沖縄特攻作戦」の戦艦大和の
直衛艦として出撃し大破しながらも奇跡の生還を果たした艦である。
戦艦大和や矢矧(やはぎ)が撃沈された坊の岬海戦。「涼月」は、
甚大な被害を受け、准士官以上が全員死傷。艦前部が浸水、
前進不能となりながら、下士官の操艦により負傷者を満載して
全航路、後進にて長崎県佐世保にたどり着き、入渠と同時に
沈座した。その後、全部乗員居住区から3人の遺体が発見された。
彼らが自らの命と引き換えに隔壁を内部から固定。浮力を保った
と言われる。 「冬月」は、学徒動員で戦艦大和に乗り込み、戦闘を克明に
記録した少尉、吉田満を救助。吉田は、名著「戦艦大和の最期」
を著した。
第二次大戦後、旧日本海軍の残存艦船のうち、戦艦長門のように
米軍に接取され、水爆実験に使用されたものもあるが、大型艦の多くは、
解体のうえ、鉄スクラップとして、売却された。駆逐艦クラスの小型
艦艇で、就役可能なものは、戦利品として中国、ソ連に引き渡された。
修復不可能なものや未完の艦艇の一部は、埋め立て材料として
沈設され、防波堤の一部と化した。ここ若松区以外にも
秋田県秋田港、福島県小名浜港などにもある。しかし、この駆逐艦
「柳」は、甲板部が、防波堤上に露出しており、実際の艦艇を
見ることの出来る唯一の場所である。
(引用及び参考文献 「北九州の近代化遺産」「福岡の近代
化遺産」「九州遺産」弦書房)。(ブログ「趣味悠々 園芸と日記と写真館Ⅱ」
http://heiji303.blog21.fc2.com/ より)