北九州市 時と風の博物館

日常の中で見過ごされがちな北九州市が誇るべき魅力や個性を、地域資源として私たち自身で編纂し、未来へ繋げましょう。

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AKB48ではなく、AKY3洞海湾に島があった(^O^)

福岡県の筑豊地方は、明治期、石炭の産出が盛んであった。当時、筑豊の御三家といえば、麻生(麻生太郎元総理大臣の家系である。)、貝島、安川(敬一郎)である。(AKBではなくて、AKYである。)これに堀、伊藤(伝右衛門…柳原白蓮の夫)を加えて「筑豊5大炭鉱主」と呼び、栄華を誇っていた。
さて、昔、洞海湾には島があったのをご存知だろうか?若戸大橋の戸畑側海中の橋脚あたりに周囲500mほどの小島があった。この島は、、筑前国風土記に「河と島(かごしま)」とあり、近世には、「カワトジマ」と読まれ、通称「中ノ島」と言った。戦国時代から城があったと言われ、慶長年間には、黒田長政が端城を築き、黒田二十四騎の一人、三宅若狭家義(三千五百石)を城主とした。城は、幕府の一国一城令により元和元年に取り壊された。その後、幕末に砲台、明治期になるとコークス工場、貯炭場、造船場が設けられたが、白砂や老松が残る景勝の地であった。しかし、洞海湾の発展に合わせて掘削計画が立てられ昭和十五年12月にその姿を消した。この石は、河と島にあったもので、この島を記念する唯一のものである。続く