北九州市 時と風の博物館

*日常の中で見過ごされがちな北九州市が誇るべき魅力や個性を、地域資源として私たち自身で編纂し、未来へ繋げましょう。
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歴史・伝承のこと

昭和28年北九州大水害 復興記念碑がある

東芝北九州工場敷地内の水害復興碑

昭和28年北九州大水害は、北九州市のホームページ【水辺に関するほーむぺーじ せせら】には、『昭和28年6月28日、旧北九州五市は、62年ぶりといわれる大 集中豪雨にあい、死者183人、家屋倒半壊3,800戸、総罹災戸数83,000戸、総被害額110億円(現在価格で約600億円)という大惨事に見舞われました』と記されている。
今から59年前のことである。
当時6歳だった私、目を閉じれば、家の引き戸の隙間から入ってくる水の勢い、父と母が畳を引き上げる姿を今も思い出す。また、雨が上がった翌日(?さだかでないが)、現在の小倉西郵便局あたりの電車通りで、たらいを船かわりに遊んだことも覚えている。
この水害から復興を果たし、北九州市とともに歩いてきた工場があった。
水害から10年後、私は思永中学校を卒業後、復興をした、東京芝浦電気株式会社(現株式会社東芝)小倉工場に就職した。この年2月に五市合併、北九州市が誕生。工場も4月に北九州工場と改称。
余談だが初任給が9,000円、50年の歴史を感じている。
北九州工場は、東芝の中(26工場だった?)で一番小さい工場(敷地面積が最小)であった。電球の量産工場から産業の米といわれた半導体工場へ鮮やかに構造変革、そして東芝の中でも一番長い92年の歴史を誇っている。
その工場が今年、92年の歴史を閉じようとしている。その工場に一般の方の目に触れることのなかった歴史的な遺産『水害復興記念碑』がある。
私は、この石碑に92年の歴史を支えたのが諸先輩の小倉魂、北九州魂ともいえる気概を見るのである。92年の歴史はこの水害復興を成し遂げた諸先輩の努力なしには語れないのである。
私が就職した以後も小さい工場がゆえに行くたびかの工場閉鎖が検討されたようだが、この復興碑に込められた気概が私たちを激励し、幾多の困難を乗り越えた原動力であったように思う。
石碑は写真のように右から左へ、『水害復興記念碑』と記され、下に『社長 石坂泰三』とある。石坂泰三氏は第2代の日本経団連の会長である。
そして、石碑の裏面に記された文は次の通りだ。
『昭和28年6月下旬、鎮西の地は積日未曾有の豪雨に襲われ
28日ついに板櫃川氾濫のため工場は瞬時にして濁流の洗するところとなる
従業員600名、必死の復旧作業にて早くも10月全生産を再開す
石坂社長の間の労を慰ひ●●を賜う慈に社長の●●を乞ひ一碑を建し以って
水害復興記念とす
昭和29年6月 工場長 横浜清美』
(石碑裏面の●●部分は字が読めず不明、また、裏面には浸水した水位線も示されている)
先輩から、伺った話では、水害当時、短期間での復興が工場存続の鍵だったと・・・
当時の諸先輩は力を合わせて、懸命の努力を重ね、極めて短期間で復興し、工場存続を成し遂げ、社長から復興の碑を寄贈いただいたのである。
加えて、この石碑は昭和28年の大水害以降の市の治水行政の教訓の碑となると確信している。
工場の終息閉鎖は誠に残念無念であるが、この歴史的遺産が市民の前にお披露目される日を楽しみにしている。

水害復興の裏面。風化で読み取れない字もある。また、水害時の水位を示すラインも風化

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コメント

つい先日、とある講演会でたまたま昭和28年の大水害の話を聞きました。板櫃川が氾濫し、大変な被害をもたらした・・・との話でした。きっとこの石碑も、板櫃川の氾濫と関係しているのでしょう。

終戦から8年。日本はまだまだ貧しい国だったのかもしれませんが、誰もが明日と言う未来を信じて歩くことのできた時代だったのかもしれません。

maomao さん [ 2012-02-27 ]