常盤橋の広告塔
■ 時風1838 ■ 2014-03-04 ■ 投稿者: Shunkei
小倉にある常盤橋の京町側の袂に広告塔がある。
明治23年頃に建てられたものであるが、平成15年に再建された。
当時は現在の約3倍の大きさあったといわれており、高さは約12.5メートル、総幅は約4.2メートルであったとされる。
森鴎外の小説「獨身」に広告塔は西洋から直接小倉に伝わり、「東京にないもの」のひとつとして、「常磐橋の袂(たもと)に圓(まる)い柱が立っている。これに広告をはりつけるのである。」と記されているとのことである。
常盤橋は小倉から「門司往還」「長崎街道」「中津街道」「秋月街道」「唐津街道」の五街道の起点となっていた。
明治の時代、恐らくそれなりの通行量もあったと思われ、まさに広告塔の役目を担っていたのではないであろうか。
明治23年頃に建てられたものであるが、平成15年に再建された。
当時は現在の約3倍の大きさあったといわれており、高さは約12.5メートル、総幅は約4.2メートルであったとされる。
森鴎外の小説「獨身」に広告塔は西洋から直接小倉に伝わり、「東京にないもの」のひとつとして、「常磐橋の袂(たもと)に圓(まる)い柱が立っている。これに広告をはりつけるのである。」と記されているとのことである。
常盤橋は小倉から「門司往還」「長崎街道」「中津街道」「秋月街道」「唐津街道」の五街道の起点となっていた。
明治の時代、恐らくそれなりの通行量もあったと思われ、まさに広告塔の役目を担っていたのではないであろうか。