北九州市 時と風の博物館

日常の中で見過ごされがちな北九州市が誇るべき魅力や個性を、地域資源として私たち自身で編纂し、未来へ繋げましょう。

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金玉坂の説明板

人情下町 北小倉

昭和10年頃のジオラマ
時風747で紹介した●●●●坂の呼び方について
何か手掛かりがないかと近くの北小倉市民センターを
訪ねてみました。すると、昭和10年頃の北小倉の
風景としてジオラマが展示してありました。
そして、昔を語ろう会の皆さんによる説明書に
金玉坂について、次のような説明がありました。
金玉坂については、別名慶応道路とも呼ばれていました。
金玉坂を中井口バス停付近から登って来て、
当市民センターから下って交差する四つ角に店があり、
その横に「金玉坂」と彫られた石柱があったようです。
現在は不明となっています。
金玉坂と呼ばれる面白い名前の語源が諸説ありますので
現在、判明しているものだけを列記させていただきます。
①昔、この付近に木こりが住んでいて、囲炉裏のところで
寝ていたときに、囲炉裏の火が男の急所に燃え移り、
その事によって名前が付けられた説。
②この付近でバレイショがとれていて、別名金玉イモと
呼ばれた事から名前が付けられた説。
③ここで決闘が行われ、一人が木の根に足が引っ掛かり、
そのはずみで木の根か石で急所を打って動けなくなり
相手に討たれた事から、名前が付けられた説。
昭和25年頃まで、地蔵様が祀って有ったと言う説で
残っているようです。
この日、訪れた私に説明をしてくださった、男性職員の
方が昔、聞いた話によると、「重い荷物を運ぶ馬がこの
金玉坂を登る時に悲鳴をあげたから・・・」などと説明
してくださいました。私は昔、筑前中原村(現在の戸畑区
中原)の古老からは③とほぼ同じでこの坂で筑前に
逃げようとしていた仇を見つけての仇討があったと
聞いたことがありました。 しかし、本当の由来は
わからないまま、そっとしておきましょう。
また、この北小倉市民センターを突然に訪れた私に対し
職員のみなさんの挨拶、対応には感激いたしました。
ジオラマを男性職員の説明を聞きながら昔話を
して、ほんのわずかな時間でしたが、楽しい時間が
過ごせました。普段縁の無い市民センターや区役所等
にもたまには、行ってみるものですね。
職員の皆様、ありがとうございました。