古官道を訪ねて
■ 時風2015 ■ 2014-05-06 ■ 投稿者: Shunkei
八幡西区の東川頭町に、古代からの「道」が存在する。史跡にもなっていて、この北九州にわずかな痕跡として存在する。
その「道」は大宰府官道であり、7世紀~8世紀ごろに整備~完成したといわれている。
7世紀~8世紀は飛鳥時代~奈良時代のことで、8世紀初めには大宝律令が完成している。当時、財源や権限などを中央政府で一元化する動きがあり、中央より大宰府の政庁がある国衙領地とを結ぶ幹線官道であったそうだ。
現在、石畳で整備されているが、小高い丘に細い道が上下している感じである。主要な幹線であるため、当時は幅が広かったのではないかと思われるが、今は民家の間におとなしく残っている。政治や経済が変わり、時代が変わることにより、官道は廃れていったようである。江戸時代に入って道路の主役は長崎街道となったが、古き時代のこの「道」は中央と地方の連絡網として必要不可欠な存在であったはずだ。
その「道」は大宰府官道であり、7世紀~8世紀ごろに整備~完成したといわれている。
7世紀~8世紀は飛鳥時代~奈良時代のことで、8世紀初めには大宝律令が完成している。当時、財源や権限などを中央政府で一元化する動きがあり、中央より大宰府の政庁がある国衙領地とを結ぶ幹線官道であったそうだ。
現在、石畳で整備されているが、小高い丘に細い道が上下している感じである。主要な幹線であるため、当時は幅が広かったのではないかと思われるが、今は民家の間におとなしく残っている。政治や経済が変わり、時代が変わることにより、官道は廃れていったようである。江戸時代に入って道路の主役は長崎街道となったが、古き時代のこの「道」は中央と地方の連絡網として必要不可欠な存在であったはずだ。