飢饉を救った石原宗祐
■ 時風224 ■ 2012-04-21 ■ 投稿者: kikkun
門司区の周防灘側の猿喰(さるはみ)地区にあります。
現地の案内看板によれば(写真)・・・・ 江戸時代中期に、飢饉に苦しむ農民を救うため、大里(だいり)村の庄屋であった石原宗祐(いしはらそうゆう)が、庄屋の職を辞して、私財を投入して、干拓事業(33ha)を行いました。
ただし、干拓地の地盤高さは周防灘の満潮面よりも低いため、満潮時には海水が干拓地に入らないように、干潮時には雨水や川の水が海に流れるようにしなければなりません。
この「潮抜き穴」は、このような働きを持たせた樋門です。
昔の人の 人や地域を想う心と、技術の高さに驚かされます。
北九州市の小学生は4年生で習うようです。
現地の案内看板によれば(写真)・・・・ 江戸時代中期に、飢饉に苦しむ農民を救うため、大里(だいり)村の庄屋であった石原宗祐(いしはらそうゆう)が、庄屋の職を辞して、私財を投入して、干拓事業(33ha)を行いました。
ただし、干拓地の地盤高さは周防灘の満潮面よりも低いため、満潮時には海水が干拓地に入らないように、干潮時には雨水や川の水が海に流れるようにしなければなりません。
この「潮抜き穴」は、このような働きを持たせた樋門です。
昔の人の 人や地域を想う心と、技術の高さに驚かされます。
北九州市の小学生は4年生で習うようです。