『わたしの小倉・オイラの北九州』 (その9・・・日田彦山線①・・・)
■ 時風3121 ■ 2016-06-12 ■ 投稿者: キク
日田彦山線。日田駅~小倉駅まで29駅。距離にして約83KM。日田盆地と玄界灘の街・小倉を結ぶ。久しぶりに日田彦山線に乗ろうと思い、久大線で日田まで行く。朝早かったので、桜咲く、【夜明】の空がきれいに澄み渡っている。急行などが、通り過ぎるのを待つのも楽しい。工事の人が二人、駅舎を綺麗に塗っている。車掌さんが立っている。駅舎に”太陽を手招く夜明”の看板が掛かる。夜明けの鐘は叩いて良いとの事。それではと、叩いてみると山間の村に響いて行く。気持ちがいい。鯉のぼりが風に揺れている。
日田駅に着く。天気がいい。駅前レストランで”だご汁”を食べる。久しぶり、とても美味しい。33年前に竹田駅前で食べた昔がなつかしい。何年たってもやっぱり”だご汁”はうまい。梅干しを1個追加。白いご飯にのせると、ホントに日の丸。きれい。
小倉行き、早めに乗り込み、車内で出発を待つ。女性アナウンスの声がなつかしい。やがて、車掌さんの声。やさしい、ゆっくり落ち着いた声。日田彦山線に合っている。途中の駅で車掌さんが「おばさん、持ちますよ。持ちますから。」と言って、少し腰の曲がったおばさんの荷物を、ホームに降ろしていた。あぁ、やっぱりやさしい車掌さんだ。白いシャツの似合うおばさんが、お礼を言って歩いて行く。
他の日、車掌さんと話す。「日田彦山線っていいですよね。」「そうですね。昼はいいですけど、夜は怖いですよ。イノシシやシカが出るから、夜はヒヤヒヤなんですよ。」昼しか乗ったことがないから、夜は夜で大変なんだなぁ。知らなかった。
【宝珠山】【大行司】辺りの棚田が田植えを始めている。田植え・稲刈り・紅葉、季節ごとに景色が変わる。山の中の暮らしと移り行く時間が見える。近くには、小鹿田・小石原の焼き物の里もある。【大行司】には以前、黄色いハンカチが飾られていた。高倉健の父親が近くの炭鉱で働いていて、高倉健も中学生ぐらいに良く遊びに来ていたとの事。「今でも駅舎の中には飾られていると思いますよ。」と車掌さんの話。・・・・(日田彦山線②へつづく)
日田駅に着く。天気がいい。駅前レストランで”だご汁”を食べる。久しぶり、とても美味しい。33年前に竹田駅前で食べた昔がなつかしい。何年たってもやっぱり”だご汁”はうまい。梅干しを1個追加。白いご飯にのせると、ホントに日の丸。きれい。
小倉行き、早めに乗り込み、車内で出発を待つ。女性アナウンスの声がなつかしい。やがて、車掌さんの声。やさしい、ゆっくり落ち着いた声。日田彦山線に合っている。途中の駅で車掌さんが「おばさん、持ちますよ。持ちますから。」と言って、少し腰の曲がったおばさんの荷物を、ホームに降ろしていた。あぁ、やっぱりやさしい車掌さんだ。白いシャツの似合うおばさんが、お礼を言って歩いて行く。
他の日、車掌さんと話す。「日田彦山線っていいですよね。」「そうですね。昼はいいですけど、夜は怖いですよ。イノシシやシカが出るから、夜はヒヤヒヤなんですよ。」昼しか乗ったことがないから、夜は夜で大変なんだなぁ。知らなかった。
【宝珠山】【大行司】辺りの棚田が田植えを始めている。田植え・稲刈り・紅葉、季節ごとに景色が変わる。山の中の暮らしと移り行く時間が見える。近くには、小鹿田・小石原の焼き物の里もある。【大行司】には以前、黄色いハンカチが飾られていた。高倉健の父親が近くの炭鉱で働いていて、高倉健も中学生ぐらいに良く遊びに来ていたとの事。「今でも駅舎の中には飾られていると思いますよ。」と車掌さんの話。・・・・(日田彦山線②へつづく)