旧第十二師団司令部正門の跡:勝山公園(旧跡)
■ 時風3563 ■ 2018-10-29 ■ 投稿者: 北九州市時と風の博物館事務局
明治4年(1871)、誕生間もない明治政府は、首都東京と東北・石巻、九州・小倉の三か所に陸軍最大の編成単位である鎮台(後の師団司令部)を置いた。小倉が軍都としての産声を上げた時である。しかし、同年、西南戦争へとつながる不穏の動きをする薩摩への牽制もあり鎮台は熊本に移った。明治21年に鎮台は師団と名称を変えるが、同31年(1898)、再び、小倉に騎兵や砲兵も有する第十二師団司令部が設置され、小倉は軍都の賑わいを取り戻した。文豪・森鷗外(本名:森林太郎・もりりんたろう)が第十二師団軍医部長として小倉にいたのは明治32年(1899)6月から2年10か月である。《出典:郷土出版社発行・「北九州の歴史」》