北九州市 時と風の博物館

日常の中で見過ごされがちな北九州市が誇るべき魅力や個性を、地域資源として私たち自身で編纂し、未来へ繋げましょう。

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旧第十二師団司令部正門の跡:勝山公園(旧跡)

正門のそばに展示されている野戦重砲・復元記念物です。碑に書かれている『四年式十五珊榴弾砲』は、『よねんしきじゅうごさん(フランス語の「サンチメートル(センチメートル)」の音訳字)りゅうだんほう』と読み、大正4年に採用認定された、砲口径約15㎝の野戦重砲と呼ばれる大砲の一種です。特徴は、機動力アップのため移動時には 砲身を外し搬送出来る事です。《出典:復元記念碑・碑文》 
同上
明治4年(1871)、誕生間もない明治政府は、首都東京と東北・石巻、九州・小倉の三か所に陸軍最大の編成単位である鎮台(後の師団司令部)を置いた。小倉が軍都としての産声を上げた時である。しかし、同年、西南戦争へとつながる不穏の動きをする薩摩への牽制もあり鎮台は熊本に移った。明治21年に鎮台は師団と名称を変えるが、同31年(1898)、再び、小倉に騎兵や砲兵も有する第十二師団司令部が設置され、小倉は軍都の賑わいを取り戻した。文豪・森鷗外(本名:森林太郎・もりりんたろう)が第十二師団軍医部長として小倉にいたのは明治32年(1899)6月から2年10か月である。《出典:郷土出版社発行・「北九州の歴史」》