乃木希典居住宅の趾記念碑:勝山公園(記念碑・石碑)
■ 時風3564 ■ 2018-10-29 ■ 投稿者: 北九州市時と風の博物館事務局
乃木希典(のぎまれすけ)… 嘉永2年-明治45年・大正元年(1849-1912)長州藩家臣の子、江戸麻布で生まれ、10歳から長州藩(山口県)の支藩長府藩(下関市)で暮らす。軍人、陸軍大将、学習院長。
倒幕運動が盛んな長州において、高杉晋作や、後の総理大臣山県有朋の影響下で長府藩報国隊で活躍、元治2年(1864)15才で小倉城での戦闘に参加、一番乗りを果たしたと言われる。新政府においては、明治8年(1875)、26才で小倉の歩兵第十四連隊に連隊長心得(少佐)として赴任した乃木希典は、同10年(1877)2月13日に連隊を率いて西南戦争に出兵するまで、小倉に居た。なお、次の連隊長心得は小倉出身の奥少佐(後に伯爵、元帥)に引き継がれた。中央図書館そばの図書館西駐車場入り口横には、奥元帥の生誕地の碑と歩兵第十四連隊の碑があります。《出典:福田和也著「乃木希典」 黒田甲子郎著「奥元帥伝」》
倒幕運動が盛んな長州において、高杉晋作や、後の総理大臣山県有朋の影響下で長府藩報国隊で活躍、元治2年(1864)15才で小倉城での戦闘に参加、一番乗りを果たしたと言われる。新政府においては、明治8年(1875)、26才で小倉の歩兵第十四連隊に連隊長心得(少佐)として赴任した乃木希典は、同10年(1877)2月13日に連隊を率いて西南戦争に出兵するまで、小倉に居た。なお、次の連隊長心得は小倉出身の奥少佐(後に伯爵、元帥)に引き継がれた。中央図書館そばの図書館西駐車場入り口横には、奥元帥の生誕地の碑と歩兵第十四連隊の碑があります。《出典:福田和也著「乃木希典」 黒田甲子郎著「奥元帥伝」》