小林徳一郎翁頌功碑:勝山公園(ブロンズ像)
■ 時風3565 ■ 2018-10-29 ■ 投稿者: 北九州市時と風の博物館事務局
小林徳一郎...明治3年 - 昭和31年(1870~1956) 島根県生まれ。
父親は、島根県高原村で製鉄の経営者でしたが、経営に失敗し没落します。16才の小林少年は、流浪の末に北九州の田川で炭鉱夫として働き、27才で小倉において土木建築請負業を開始しました。小倉浅野地区の埋め立てや旧東京製綱小倉工場の建築などで青年実業家としての地位を確固たるものにしました。大正3年44才の時に初めて島根に帰省した時から出雲大社に大鳥居を寄付したり地域への社会貢献活動が積極的になります。一方、大正9年(1920)50才の時から多くの者に請われて昭和3年(1928)まで小倉市会議員を務めます。その後も公共に多額の寄付をしたり、寄付をするために事業を行っていたとも言われるほど、社会貢献を積極的に行う晩年でした。森鴎外の『小倉日記』に「小林徳一郎・・・小徳は小倉の任侠なりと。」とあります。《出典:小林徳一郎翁顕彰会発行・「聞書小林徳一郎翁伝」》
父親は、島根県高原村で製鉄の経営者でしたが、経営に失敗し没落します。16才の小林少年は、流浪の末に北九州の田川で炭鉱夫として働き、27才で小倉において土木建築請負業を開始しました。小倉浅野地区の埋め立てや旧東京製綱小倉工場の建築などで青年実業家としての地位を確固たるものにしました。大正3年44才の時に初めて島根に帰省した時から出雲大社に大鳥居を寄付したり地域への社会貢献活動が積極的になります。一方、大正9年(1920)50才の時から多くの者に請われて昭和3年(1928)まで小倉市会議員を務めます。その後も公共に多額の寄付をしたり、寄付をするために事業を行っていたとも言われるほど、社会貢献を積極的に行う晩年でした。森鴎外の『小倉日記』に「小林徳一郎・・・小徳は小倉の任侠なりと。」とあります。《出典:小林徳一郎翁顕彰会発行・「聞書小林徳一郎翁伝」》