白洲灯台・岩松翁記念塔:勝山公園(記念物)
■ 時風3581 ■ 2018-10-30 ■ 投稿者: 北九州市時と風の博物館事務局
岩松助左衛門…文化元年 - 明治6年(1804 - 1872)小倉北区長浜生まれ。
庄屋であった岩松助左衛門は、小倉沖の白洲と呼ばれる大暗礁での危険から航海者を守るため、文久2年(1862)小倉藩に白洲灯籠台築立願を提出し、岩松家の全財産を投じ、さらに、募金・借金と奔走しながら、苦節8年目・明治3年(1870)に基礎工事が完成し、明治4年(1871)には、建設が国策として明治政府に引き継がれ明治6年(1873)に灯台が完成しましたが、「世のため、人のため」を貫き通した助左衛門は、しかし灯台の点灯を見ることなく前年に死去しました。この記念塔は、岩松翁が設計した灯台を模したものです。《出典:「 岩松助左衛門翁顕彰会 」 のパンフレット、現地説明板》
庄屋であった岩松助左衛門は、小倉沖の白洲と呼ばれる大暗礁での危険から航海者を守るため、文久2年(1862)小倉藩に白洲灯籠台築立願を提出し、岩松家の全財産を投じ、さらに、募金・借金と奔走しながら、苦節8年目・明治3年(1870)に基礎工事が完成し、明治4年(1871)には、建設が国策として明治政府に引き継がれ明治6年(1873)に灯台が完成しましたが、「世のため、人のため」を貫き通した助左衛門は、しかし灯台の点灯を見ることなく前年に死去しました。この記念塔は、岩松翁が設計した灯台を模したものです。《出典:「 岩松助左衛門翁顕彰会 」 のパンフレット、現地説明板》