勝山公園の桜-3:陽光
■ 時風3635 ■ 2019-03-16 ■ 投稿者: 北九州市時と風の博物館事務局
桜の品種《陽光》は、一人の民間人が作り上げました。
・もともと、軍国教育の教師であった故高岡正明氏は、『戦争に勝ったら、この桜の元に帰って来い』と、多くの若者たちを戦場に送りましたが、こうした多くの青年たちは戦争で亡くなり、また、若者たちを戦場に送った自責の念の苦しさと鎮魂のため、彼らが眠る外国に桜を植えたいと考えました。
当時、亜熱帯のジャワや極寒のシベリアで育つ桜はありませんでした。しかし、故高岡氏はそんな地にでも育つ桜を育てたいと品種改良に30年間挑み続け、『陽光』を開発し各国で植樹を行いました。
この、30年間挑み続けた鎮魂の物語は、2015年に映画【陽光桜-YOKO THE CHERRY BLOSSOM】として公開されました。
《出典:NHK松山放送局HP、伯方塩業㈱HP』》
さて、勝山公園の『陽光』は、大芝生広場や、図書館南のバス通り沿い、紫川・『中の橋』のそばなどに16本あります。花は一重で大輪、鮮やかなピンク色の桜です。
写真の木のように、園内の一部の木で何輪か咲き始めましたが、ほとんどの木では、まだ多くのつぼみが赤いままの状態です。見頃まであと10日から2週間でしょうか。
ソメイヨシノよりもやや早く見頃を迎えます。
・もともと、軍国教育の教師であった故高岡正明氏は、『戦争に勝ったら、この桜の元に帰って来い』と、多くの若者たちを戦場に送りましたが、こうした多くの青年たちは戦争で亡くなり、また、若者たちを戦場に送った自責の念の苦しさと鎮魂のため、彼らが眠る外国に桜を植えたいと考えました。
当時、亜熱帯のジャワや極寒のシベリアで育つ桜はありませんでした。しかし、故高岡氏はそんな地にでも育つ桜を育てたいと品種改良に30年間挑み続け、『陽光』を開発し各国で植樹を行いました。
この、30年間挑み続けた鎮魂の物語は、2015年に映画【陽光桜-YOKO THE CHERRY BLOSSOM】として公開されました。
《出典:NHK松山放送局HP、伯方塩業㈱HP』》
さて、勝山公園の『陽光』は、大芝生広場や、図書館南のバス通り沿い、紫川・『中の橋』のそばなどに16本あります。花は一重で大輪、鮮やかなピンク色の桜です。
写真の木のように、園内の一部の木で何輪か咲き始めましたが、ほとんどの木では、まだ多くのつぼみが赤いままの状態です。見頃まであと10日から2週間でしょうか。
ソメイヨシノよりもやや早く見頃を迎えます。