岩松助左衛門生誕地
■ 時風371 ■ 2012-06-12 ■ 投稿者: nagahamamachinet
岩松家は江戸時代に長浜浦の庄屋を務めていた、岩松助左衛門の生誕地です。
文化元年(1804年)、小倉北区長浜浦で生まれた助左衛門は
40年間役を務めたのち、「海上御用掛難破船支配役」となり、
響灘沖で海難事故が起きないようにと
白洲という浅瀬に灯台の必要性を訴えつづけ、募金を募りながら、
自らも私財を投げうって、灯台建設に人生をかけた人物です。
その功績は戦前の国定教科書にも記載されたことがあります。
私利私欲、名誉名声を求めない精神で生きた助左衛門は
このまちに住む人々の誇りです。
生誕地の建物は明治時代に建てられたものですが、格子戸
のある開口部や通り土間、奥には井戸や土蔵も残り、
昔の長浜のまちの佇まいが残っています。
助左衛門さんは、この場所から、
白洲の地に灯台が建つことを願いながら、
海を眺めていたことでしょう。
文化元年(1804年)、小倉北区長浜浦で生まれた助左衛門は
40年間役を務めたのち、「海上御用掛難破船支配役」となり、
響灘沖で海難事故が起きないようにと
白洲という浅瀬に灯台の必要性を訴えつづけ、募金を募りながら、
自らも私財を投げうって、灯台建設に人生をかけた人物です。
その功績は戦前の国定教科書にも記載されたことがあります。
私利私欲、名誉名声を求めない精神で生きた助左衛門は
このまちに住む人々の誇りです。
生誕地の建物は明治時代に建てられたものですが、格子戸
のある開口部や通り土間、奥には井戸や土蔵も残り、
昔の長浜のまちの佇まいが残っています。
助左衛門さんは、この場所から、
白洲の地に灯台が建つことを願いながら、
海を眺めていたことでしょう。