小倉祇園
■ 時風451 ■ 2012-06-29 ■ 投稿者: 九州若松
「雨が降らなきゃ金が降る」とお囃子にも唄われていますが、幕末の文久2年(1862)には山車21、踊車11、人形飾山4、傘鉾16が参加する盛大な祭りでした。その後の長州戦争により、有力な商人は小笠原藩の武士と共に小倉を去り、祇園祭自体も激変しました。長州に割譲された企救郡では、かつてのような祭りを運営する事はできなかったのでしょう。その後太鼓祇園として残り、現在へと続いています。
■ 時風451 ■ 2012-06-29 ■ 投稿者: 九州若松