北九州市 時と風の博物館

*日常の中で見過ごされがちな北九州市が誇るべき魅力や個性を、地域資源として私たち自身で編纂し、未来へ繋げましょう。
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歴史・伝承のこと

八幡大空襲

かつて寮があった場所は、現在若松体育館の駐車場になっています。

長崎の原爆は当初小倉に投下予定だったそうですが、天候不順のため急遽長崎に変更されたそうです。有名なエピソードですが、前日の8日に八幡大空襲があった事は、あまり知られていないようです。この時風に流された焼夷弾が若松市街地を襲った事は、更に知られていないようです。西本町一帯、藤ノ木東二島方面、浜埋立地が攻撃を受け、死者81名、重傷者43名、全焼家屋926戸等の被害があったそうです。この時若松機関区から消防機関車9610が出動し、古前鉄道青年寮に放水して焼失を防いだそうです。昭和49年に門鉄が発行した「九州の蒸気機関車」にそのエピソードが掲載されています。「民家から逃げ出した15才くらいの娘が炎に恐れて、ポロポロ涙を流していた姿が印象に残っている」ともあります。近くの某金物店も全焼し、とけた金物が固まって残っていたそうです。

左端の鉄筋コンクリートの建物が古前寮でした。(昭和46年頃撮影、再掲載)

寮の前付近で撮影。左端の保線区の左横にありました。(昭和46年頃撮影)

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コメント

八幡空襲で「屠龍」はB29に体当たりし2機を撃墜した…“翼”を奪われた陸軍航空部隊の真実、エリート技術将校の証言
http://www.sankei.com/west/news/160819/wst1608190004-n2.html
客観的にみると 原爆が北九州に落とされずに長崎に落ちたのは 抵抗したか否か。また米軍の内部に原爆部隊は日宇都給舞台で意思疎通がなされてなかったし目視照準を厳命されそれをくそ真面目に守った爆撃手がいて爆撃部隊の邂逅が遅れたという幾つもの幸運があったといえる。

河童工房 さん [ 2017-04-11 ]

 新聞記事を読み興味を引かれたので市役所のロビーに足を運びました。
 非核平和都市宣言の宣言文の銘板です。新聞記事によると縦120センチ、横156センチだそうでかなり立派なものです。
 北九州市だけでなく世界の平和を願ってやみません。
  • 平和都市宣言の銘板 金文字です
  • こちらは「長崎の鐘」

幸ちゃん さん [ 2012-08-10 ]

空襲の被害が広がり建屋火災のおそれが出たため、給水ポンプ等の菅に消防用ホースを取り付けるように改造したそうです。水源はテンダーの貯水で、高さ12mくらいまで上がったとか。ちなみに9610は9600形式の10号車で、当時の9600の中で一番古い番号だったそうです。現存する最古参は、梅小路の9633(静態保存)です。「西本町一帯の民家はほとんど焼失してしまったが、鉄道寮と隣の民家だけは無事に残った」とも書かれています。

九州若松 さん [ 2012-08-09 ]

8月8日の八幡大空襲のことまでは知っていました。8月9日の小倉の天候不良は、曇天であったという説もあれば前日の八幡大空襲の煙が立ち込めていたという説もあるようです。
しかし、(考えてみれば隣接しているわけですから至極当然なのですが)八幡を襲った焼夷弾が若松市街地をも襲っていたということは知りませんでした。
消防機関車なるものが存在していたことも初めて知りました。

maomao さん [ 2012-08-09 ]