北九州市 時と風の博物館

日常の中で見過ごされがちな北九州市が誇るべき魅力や個性を、地域資源として私たち自身で編纂し、未来へ繋げましょう。

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大里の八坂神社で、寛延三年(1750)に奉納された鳥居です。

長崎街道大里宿

かつての街道筋の古民家ですが、いつ頃の建設でしょうね?
芦屋町大君にありますが、今までただの伝説だとばかり思っていました。
長崎街道の出発点は小倉の常盤橋だとばかり思っていましたが、どうも大里宿も長崎街道だったようです。当初は小倉城下から渡船していたようですが、煩雑するのと他国の大名が集中するのを嫌い、小笠原藩が新たに設置したとか。江戸後期には半数の大名が、大里を利用していたそうです。大里にはかつて天皇の御所(内裏)があり、それが今の地名の元になったというのは、もっともらしい伝説だとばかり思っていましたが、どうも史実らしいです。なんとあの「安徳天皇」が、短期間ですが居住していたそうです。寿永二年(1183)九月、芦屋の山鹿から門司の柳ヶ浦に移ってきたそうです。その後柳ヶ浦は内裏と呼ばれていたそうですが、享保五年(1720)頃、時の藩主小笠原忠雄によって、大里と呼ばれるようになったそうです。ちなみに、全国で「大里」という地名は16箇所あるそうですが、「だいり」と読むのはここだけだそうです。