枝光にある見晴らしの丘
■ 時風007 ■ 2012-02-08 ■ 投稿者: 向日葵
ひょんな事から、列車に乗って市内を周り、各駅下車してまちを歩くこととなった。気が付けば、市内全駅のホームにある駅看板を写真におさめ、にんまりしている自分がいた。看板と言っても、昔ながらの金属製のものもあれば、今時の電灯式のものまで、様々である。
さて、JR枝光にて下車。駅を出ると、目前には、傾斜地にひしめき合う家々の光景がとびこんできた。吸い込まれるように、自然と住宅群へと足が向かう。深い理由は何もなく、見慣れぬ光景に惹かれ、ただそこに何があるのかみてみたくなったのだ。
しばらくすると、いく手に階段が現れる。どこまで続いているのか、一体何段あるのだろう、天辺は見えない。行けるところまで、上ってみようと、登る、登る、登る…そして登る。はじめは階段の段数を数えながら登っていたが、気が付けばやめていた。傾斜地における住宅群の幹線道路は、どうやらこの階段通路のようだ。もちろん横幅も狭い、1~2m程か。自宅と車がセットの生活に慣れている自分にとって、これだけでも驚きの光景だった。
10~20分は登った、両脇にはずっと家がつづく、途中、帰宅中の女子中学生、散歩中のおばあちゃん、買い物帰りの女性とすれ違う。彼らにとってこの道は、毎日利用する慣れ親しんだ生活通路。ここに住む人たちは実にたくましいと思わずにはいられない。
ようやく、一番上っぽいところに辿り着く。これまで懸命に登り続けてきた道を振り返る。夕日に照らされたまちを一望することができた。「美しい景色だ」素直にそう思った。皿倉山と洞海湾を背景に、工場群やスペースワールド、くろがね線の陸橋などなど、北九州市の特徴を収めた景色がそこにあった。
ここで暮らす人たちの大変さを体感したと同時に、素晴らしさも知ることができた、そんな得した気分にもなった。
あの日以来、この階段を登っていない。きっと、時間がかわれば、この景色はまた違った表情をみせる。「枝光にある見晴らしの丘」。違った表情写真をお持ちの方は、ぜひコメントに添付してください。
さて、JR枝光にて下車。駅を出ると、目前には、傾斜地にひしめき合う家々の光景がとびこんできた。吸い込まれるように、自然と住宅群へと足が向かう。深い理由は何もなく、見慣れぬ光景に惹かれ、ただそこに何があるのかみてみたくなったのだ。
しばらくすると、いく手に階段が現れる。どこまで続いているのか、一体何段あるのだろう、天辺は見えない。行けるところまで、上ってみようと、登る、登る、登る…そして登る。はじめは階段の段数を数えながら登っていたが、気が付けばやめていた。傾斜地における住宅群の幹線道路は、どうやらこの階段通路のようだ。もちろん横幅も狭い、1~2m程か。自宅と車がセットの生活に慣れている自分にとって、これだけでも驚きの光景だった。
10~20分は登った、両脇にはずっと家がつづく、途中、帰宅中の女子中学生、散歩中のおばあちゃん、買い物帰りの女性とすれ違う。彼らにとってこの道は、毎日利用する慣れ親しんだ生活通路。ここに住む人たちは実にたくましいと思わずにはいられない。
ようやく、一番上っぽいところに辿り着く。これまで懸命に登り続けてきた道を振り返る。夕日に照らされたまちを一望することができた。「美しい景色だ」素直にそう思った。皿倉山と洞海湾を背景に、工場群やスペースワールド、くろがね線の陸橋などなど、北九州市の特徴を収めた景色がそこにあった。
ここで暮らす人たちの大変さを体感したと同時に、素晴らしさも知ることができた、そんな得した気分にもなった。
あの日以来、この階段を登っていない。きっと、時間がかわれば、この景色はまた違った表情をみせる。「枝光にある見晴らしの丘」。違った表情写真をお持ちの方は、ぜひコメントに添付してください。