中津口門の大石
■ 時風726 ■ 2012-11-20 ■ 投稿者: IkedaKazuhiro
八坂神社の鳥居のそばに在る大石。
江戸時代、細川忠興が小倉城を築城するとき大谷から運んでいた大石が上富野で運べなくなった。
忠興は気が短かったので運び人の頭を手討ちにした。
この話を小笠原忠総が「二つに割って運べば命を奪われずにすんだのに。石の大小は勝負にかかわらぬ。」と言った。
「細川の大石」「小笠原の割石」と言われている。
明治時代、中津や築城から小倉に多くの青年が上京するとき、中津口の大石をにらんで門を通ると成功するといわれ、みな一心ににらんだ。
これが「大石にらみ」といわれた。
中津口門解体後、高倉稲荷神社を経て、今は八坂神社の入り口に置かれている。
江戸時代、細川忠興が小倉城を築城するとき大谷から運んでいた大石が上富野で運べなくなった。
忠興は気が短かったので運び人の頭を手討ちにした。
この話を小笠原忠総が「二つに割って運べば命を奪われずにすんだのに。石の大小は勝負にかかわらぬ。」と言った。
「細川の大石」「小笠原の割石」と言われている。
明治時代、中津や築城から小倉に多くの青年が上京するとき、中津口の大石をにらんで門を通ると成功するといわれ、みな一心ににらんだ。
これが「大石にらみ」といわれた。
中津口門解体後、高倉稲荷神社を経て、今は八坂神社の入り口に置かれている。