北九州市 時と風の博物館

日常の中で見過ごされがちな北九州市が誇るべき魅力や個性を、地域資源として私たち自身で編纂し、未来へ繋げましょう。

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森 惣一の碑

孝子・森 惣一之碑

右奥には中学生の小若山笠の宿が、もうそんな時期です
この碑は 森 惣一の孝行ぶりを讃えて明治30年4月15日(1897年)に
建てられたものです。元は明治専門学校(現九州工業大学)前に建てられましたが、その後、中原八幡宮境内に移されました。
森惣一の祖父は休伯といい、孝養深いもとで有名でした。父も親孝行でしたが、惣一も父母を喜ばせるのが自分の幸せというように大変親孝行でした。
このことが、当時の福岡藩四代目藩主黒田綱政の耳に入り、「農民のかがみともなすべきものなり」と、元禄11年(1698年)7月26日、
中原の新田三反を褒美として授かりました。
題字は明治30年当時、黒田家当主 黒田 長成
文は初代 福岡市長 山中 立木
森家は代々占いを業としていました。天明5年(1785年)、京都の土御門家から筑前国中の陰陽道触頭役を仰付けられました。
中原が筑前藩の最北端でその鬼門に当たっていたことから、森家に鬼門祈祷を当たらせました。
寛文4年(1664年)、中原村の全農民は、連判で今年はお米がよく獲れたので、年貢を一分増しにして下さいと、黒田の殿様に申し出て、
誉められました。
当時の中原地方の民の実直さがうかがわれるお話です。
北九州市ホームページより
私は以前、中原の古老から聞いたこんな話があります。
ある日、惣一がお使いで出かけようとしたところ、
父親が「今日は雨が降るから下駄を履いて行きなさい」と、言われ
母親からは「下駄だと歩きづらいだろう、今日は天気が良いから草履で行きなさい」と、言われた惣一は片足は下駄を履き、もう片方に草履を履いてつかいに出かけるような孝行者だったそうです。今の時代だと、「親孝行」と言われるよりも「変わり者」と、笑われそうです。
中原八幡宮境内には、戸畑祇園大山笠、小若山笠(中学生)の宿(事務所)が
ありますが、この碑の意味、先人の心を伝えていけたらと思います。