関門連携PR列車
■ 時風1843 ■ 2014-03-06 ■ 投稿者: yayori
平成26年3月1日(土)~31日(月)まで、
鹿児島線や日豊線、筑豊線などの北部九州エリアで、
下関と北九州をPRするため、電車の車両に、
関門橋やスペースワールド、
子育て支援施設のデザインを施して、
見た方が笑顔になるように願いに込めた、
「関門連携PR列車」の運行が開始されました。
1日、列車の出発セレモニーが下関駅で行われるにあたり、
駅長さんが、明治時代から同駅に伝わる手振りの
振鈴(しんれい)で発車の合図をするとのことを
下関市役所ホームページで知り、なんのこと?
だろうと思って、内容をよく読んでみると、
『下関駅の振鈴は駅開業時(1901年)から伝わり、
現存する手振りの振鈴は全国的にも大変珍しく、
駅舎焼失時(2006年)には、3日後に金属部分ががれきの
中から見つかり、すすで真っ黒になっていたものの、
音色はそのまま残され、取っ手などの焼けた部分は、
駅舎焼失前にシンボルであった「三角屋根」の焼け残った
柱の一部を切り出して加工・修復されました。』
といった記載がありました。
これは、普段、お目にかかれるものではなさそうな
予感がしたので、
出発式の鈴ふりを眺めにゆくことにしました。
初めて目にした手振り用の鈴は、大きく、重そうでしたが、
駅長さんが、白い手袋をした両手で、しっかりと握りしめ、
腕を高く上にあげ、振り下ろし、振り上げ、を繰り返すと、
“カーン”、“カーン”といった音が、広がりました。
いつもは、にぎやかな電子音がスピーカーから流れる
駅のホームですが、静まり返ったその場所では、
鈴が奏でる音色のみが行き渡り、
その響きは、しおかぜによって、
海を挟んだ関門エリア全域に、伝わっているように
思えてなりませんでした。
製鐵所がこのまちで操業を開始した年から、
現代まで引き継がれた貴重な振鈴の音色は、
わたしの胸の奥底で鳴りつづき、
発車した電車の走行音をかき消してしまいました。
鹿児島線や日豊線、筑豊線などの北部九州エリアで、
下関と北九州をPRするため、電車の車両に、
関門橋やスペースワールド、
子育て支援施設のデザインを施して、
見た方が笑顔になるように願いに込めた、
「関門連携PR列車」の運行が開始されました。
1日、列車の出発セレモニーが下関駅で行われるにあたり、
駅長さんが、明治時代から同駅に伝わる手振りの
振鈴(しんれい)で発車の合図をするとのことを
下関市役所ホームページで知り、なんのこと?
だろうと思って、内容をよく読んでみると、
『下関駅の振鈴は駅開業時(1901年)から伝わり、
現存する手振りの振鈴は全国的にも大変珍しく、
駅舎焼失時(2006年)には、3日後に金属部分ががれきの
中から見つかり、すすで真っ黒になっていたものの、
音色はそのまま残され、取っ手などの焼けた部分は、
駅舎焼失前にシンボルであった「三角屋根」の焼け残った
柱の一部を切り出して加工・修復されました。』
といった記載がありました。
これは、普段、お目にかかれるものではなさそうな
予感がしたので、
出発式の鈴ふりを眺めにゆくことにしました。
初めて目にした手振り用の鈴は、大きく、重そうでしたが、
駅長さんが、白い手袋をした両手で、しっかりと握りしめ、
腕を高く上にあげ、振り下ろし、振り上げ、を繰り返すと、
“カーン”、“カーン”といった音が、広がりました。
いつもは、にぎやかな電子音がスピーカーから流れる
駅のホームですが、静まり返ったその場所では、
鈴が奏でる音色のみが行き渡り、
その響きは、しおかぜによって、
海を挟んだ関門エリア全域に、伝わっているように
思えてなりませんでした。
製鐵所がこのまちで操業を開始した年から、
現代まで引き継がれた貴重な振鈴の音色は、
わたしの胸の奥底で鳴りつづき、
発車した電車の走行音をかき消してしまいました。