メモリアルクロス
■ 時風2551 ■ 2015-04-01 ■ 投稿者: Shunkei
小文字山の麓に建ち、もう半世紀は経つであろう、メモリアルクロス。
メモリアルクロスは朝鮮戦争(1950~1953)の戦いで亡くなられた、国際連合軍将兵の霊を慰めるため、当時駐留していた米軍小倉師団によって建設され、その後日本に譲渡されたものである。
この時季は桜の花の中で、しかも周りの樹々の中に埋もれて、街中から見上げて見つけることはとても難しい。
建立されたた当初は、街中から太陽の光に反射して遠くからも観えたものだ。
今は、小高い丘の上の静かな森の中で、その十字架は常に朝鮮半島方面を向き、亡き霊を慰めている。
人の訪れも少なくなり、古きことは忘れ去られようとしているような気配を感じる。
戦争という嫌な記憶、その中で生まれたとも言える平和。
今でもその平和と危機の狭間で我々は生きている。
いつの世になっても、天下泰平であってほしいものです。
訪れたこの日、長崎から来たといわれる年配のご婦人から聞かれたのは「この十字架の意味は何?」と・・
既に知らない人が多い北九州市民。
第2次大戦で長崎も不幸な出来事があった中、大戦後も朝鮮戦争での悲しき戦いがあったのです。
これらの記憶は未来に伝えていかなければならないと思うのです。
メモリアルクロスの周りの桜は、悲しみを抱えて十字架と一緒に慰めているように感じます。
現代の北九州の、そして日本、世界の平和を願って止みません。
メモリアルクロスは朝鮮戦争(1950~1953)の戦いで亡くなられた、国際連合軍将兵の霊を慰めるため、当時駐留していた米軍小倉師団によって建設され、その後日本に譲渡されたものである。
この時季は桜の花の中で、しかも周りの樹々の中に埋もれて、街中から見上げて見つけることはとても難しい。
建立されたた当初は、街中から太陽の光に反射して遠くからも観えたものだ。
今は、小高い丘の上の静かな森の中で、その十字架は常に朝鮮半島方面を向き、亡き霊を慰めている。
人の訪れも少なくなり、古きことは忘れ去られようとしているような気配を感じる。
戦争という嫌な記憶、その中で生まれたとも言える平和。
今でもその平和と危機の狭間で我々は生きている。
いつの世になっても、天下泰平であってほしいものです。
訪れたこの日、長崎から来たといわれる年配のご婦人から聞かれたのは「この十字架の意味は何?」と・・
既に知らない人が多い北九州市民。
第2次大戦で長崎も不幸な出来事があった中、大戦後も朝鮮戦争での悲しき戦いがあったのです。
これらの記憶は未来に伝えていかなければならないと思うのです。
メモリアルクロスの周りの桜は、悲しみを抱えて十字架と一緒に慰めているように感じます。
現代の北九州の、そして日本、世界の平和を願って止みません。