北九州市 時と風の博物館

日常の中で見過ごされがちな北九州市が誇るべき魅力や個性を、地域資源として私たち自身で編纂し、未来へ繋げましょう。

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かつて「東洋一」だった吊り橋。美しさは変わらず。

「東洋一」コレクター

「東洋一」と言うと、三丁目の夕日ではありませんが、なんだかノスタルジーを感じる響きです。
北九州で「東洋一」と言われて多くの人が思い浮かべるものは、若戸大橋でしょう。建設当時は東洋一の長大橋でした。
関門橋もまた開通当時「東洋一」の長大橋でしたし、八幡製鐵所の溶鉱炉も「東洋一」を誇ったといいます。
さて、ほかには?
八幡製鐵所に工業用水を供給していた河内貯水池の重力ダム。これも当時は「東洋一」と言われていました。
東京芝浦電気(現在の東芝セミコンダクター)の北九州工場は「東洋一」の電球生産量を誇っていましたし、戸畑鋳物(現在の日立金属)は「東洋一」のロール工場と呼ばれていたこともありました。
グローバル化の世界にあってすっかり死語と化した感のある「東洋」という言葉ですが、北九州には「世界一」ではないけれども「東洋一」という、ちょっとだけ控えめな「一番」がたくさんありました。まさに「東洋一」コレクターともいうべき街だったのです。
あなたはどんな北九州の「東洋一」を知っていますか?
そしていまでは、西日本一、九州一と、より身近なところで一番を目指している、そんな誇り高くも奥ゆかしい街なのです。
あなたはどんな北九州の「〇〇一」を知っていますか?
「世界一」には出会えないかも知れないけれど、西洋|東洋という対立軸があった時代に思いを馳せながら、かつての「東洋一」に出会えるのです。
そう、北九州市ならね。